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2004年03月24日

●プリンタ奪還

一人暮らしを始めるときに、お父さんが持っていくことを許してくれなかった、
キャノンのBJF850を実家からとうとう奪還してきました。
4年前私は何で家にプリンタが3台あるのに一台ももらえないんだろう、
お父さんとお母さん、パソコン使えないのになんに使うんだろう、
スキャナーも2台あるのに1台もくれないってどういうこと?!、
と軽く怒り気味に思っていましたが、今日理解しました。
当時、BJF850は最高機種だったのです、つまり高かった。
買ったばっかりで私にやるのはもったいなかったんだねーきっと。
親の財力にちょっと安心し、少し親近感を覚えました。

私がお小遣いを貰い始めたのは塾通いが身についた小五のとき。
茅ヶ崎の日能研まで通っていると、おなかがすいておやつが食べたくなるんです。
だから、「小五だから月五百円ね」と渡されていた硬貨一枚は、
大抵キオスクのコアラのマーチに消えました。(そして私には脂肪が残った、でもこれは余談)
お小遣い帳をつけていて、私の金銭感覚のわりと締めるとこ締める感じは、
このときの経験から得たと思う。税理士の親に感謝。
で、その小五のときに思っていたのが、
「私にとっての10円が、親にとっては100円なんじゃないか。」
つまり、親の経済観念と自分の経済観念を比べてみてたんですね。
だから親が1000円使うってことは私が100円使うのと同じ感覚なんだろう。
これは今考えると割と賢い学び方かもしれない。
そのうち私も月一万円のおこづかいを貰う高校生となり、
服は自分、学用品は親、となったころには、わたしの10円は価値を少し失いました。

私にとって親の財力は、幾つになっても追いつけない感じがするけれど、
あのときのプリンターは親にとっても高価でもったいないものだったんだな。
きづいたらお父さんはおじいちゃんが死んだ歳を越えていた。
私もいつか、お父さんとお母さんの歳に育つ未来がある。

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