●春嵐 人の新聞巻き上げて コーンポタージュ消えて さ、春
今日はT社のセミナーに行ってきました。
人事の方がすごくクレバーな印象。好戦的なテンションの私だとマッチしそうです。
それよりも今日は寒くて寒くて、今も寒くて。
昔の人は上手いこと言った、っていうのは定型句だけど、
三寒四温とは本当によく言ったものです。
駅でコーンポタージュ飲んであったまろうと思っても、
もうないんだねー、春なんだねー春。中央林間は。
湘南台にはまだありました。冬なんだねーここは。
こういうのを観るとインターネットは確かにWWWなんだということを感じる。
あれ、変な言い回し。
それでも湘南台(冬)に住んでいる私には、オーストラリア(夏)は遠くて遠くて。
英語が使えるようになったら近くなるかな、いえいえそうではありません。
文化的な違い、しかも違いとして捉えることができないような違い、
これを解決することができたら私達は全ての人が隣人になれる。
隣人を愛すよ、それなら。
だけど同時にそんな世界が空恐ろしいのも事実で、
かつ、仮にもメディアデザインという勉強を専攻しているのなら、
この感覚に対して真摯に向き合っていかなくてはならないことも事実。
コーンポタージュスープが駅の自販機から消えたことを、
鮮やかに、生々しく、私はインドの象使いの少年(常夏)にわかって欲しい。
さらに、インドの象使いの少年じゃなくても、
私の隣にいるあなたにさえも、私の受けた衝撃は共有してもらえないかもしれない。
ずっとそれを考えている。でもこれは当たり前。
だけどわかってもらえたらいいなと思うときがある。
電話越しに聞く君の声が、どんなに私を落ち着かせるか、
昨日食べた明太子がどんなに私を幸せにしたか、
語っても意味のないことならば、叫んでも遠ざかる感覚ならば、
ただ、手を握って目をみて微笑むしかないのです。
あなたにはそれができる、だけどできない人がいる、インドの少年、それから君。