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2003年05月27日

●汚れちまった悲しみに

汚れちまった悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れちまった悲しみに
今日も風さえ吹きすぎる

汚れちまった悲しみは
たとえば狐の皮衣
汚れちまった悲しみは
小雪のかかってちぢこまる

汚れちまった悲しみは
なにのぞむなくねがうなく
汚れちまった悲しみは
倦怠のうちに死を夢む

汚れちまった悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れちまった悲しみに
なすところもなく日はくれる


中原中也はいつ聞いても切実で切実でたまらない。
けれど、「汚れちまった悲しみに」でググるとなんで和田さんのページが四番目に出てくるんだろう。

面白くも痛くも痒くも無いんだから文句があるなら読まないでね。

面白いこと
かわいいこと
愛らしいこと
格好いいこと

どれもこれも無いよう無いよう無いよう!!

私はほんとうは文章を書くのがすごくすごく好きで、
馬鹿のように昔は書き散らしていたけれど
そのときに私を愛してくれていた人が
「君の文章は中原中也に似てる」と言ってくれたことがあります。
ゆやーゆよーんゆやゆよーん。
だから私は西日あたる図書館で中原中也全集を借りました。筒井康隆といっしょに。
エログロ切ない筒井康隆と嘘みたいにきれいな中原中也は相反していて、
下りの東海道線の中で私はもう頭がいっぱいでよくわけがわからなかった。
けれど今そんなこんなでこんなになると、中原中也が胸にしみる。
きっと汚くて汚くてぐちゃぐちゃな人だったに違いない。

汚れちまった悲しみは
なにのぞむなくねがうなく
汚れちまった悲しみは
倦怠のうちに死を夢む

自分の汚れというか煙のような自分をだめにしていく様々なものにあがらえず、
自分を俯瞰してあざ笑うことしかできなくて、
望むものも無く、願うことも無く、
かといって平気でいることはできなくて、
ぼんやりと、ぼんやりと、消えてしまいたい、と夢想するのだ。

誰も救ってくれない自分だけの煙、
けれど誰かに救ってほしい自分だけの煙、
誰が、息を吹きかけてくれたら、息を吹きかえすことができるだろう。

中原中也はすごくかなしく汚い美青年だったに違いない。

美青年じゃ、あたしは無いけれど、
みんなに迷惑をかけていること、心より誠実に反省しています。
心の中常に自分会議。
どうすれば良いのか、何をすれば良いのか、なにをしちゃいけないのか、何が痛いのか。

ほんとうに、ごめんなさい。
自分で自分が制御できないこと、最低だと思っています。
けれど、努力する気にもなれない。
汚れちまった悲しみは倦怠のうちに。

そしてそれさえも申し訳なくて申し訳なくて、

コメント

友達と馬鹿してたときに、
「この歌詞すげーいいんだよ」と友達が教科書を開いてみせてくれたのが、汚れちまった悲しみにだったのよ。
のりで曲つけて歌ってみたってことです。
俺とその友達の見解では一番いい部分は
「たとえば狐の皮衣」かな、と。

えー唐突ですが、僕の高校時代の担任国語教師は若い頃やはりこの詩を読んで、しかし「汚れちまった」ではなく、「汚れっちまった悲しみ」だったところに惹かれたのだというようなことを仰有っておりました。
僕もこの詩は何となく好きだったので、何となく分かる様な気持ちもしました。なんて言うかそんな感じ。

別に訂正を求めたりしてる訳じゃ無いので・・・気にしないでください。

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